起業するに際し、起業家を悩ますのがオフィスをどうするかです。会社としての体裁を整えるためある程度しっかりした構えのオフィスを用意するべきか、必要最小限のオフィスに留めるべきか。いくつかの事例とともに起業に際してのオフィス事情を考察します。
起業に際してのオフィス

起業に際し、オフィスをどうすればいいでしょうか。またはオフィスについてどう考えるべきでしょうか。答えは、仕事の内容や事業計画によるとしかいえませんが、基本的な考え方として、オフィスは必要最小限からスタートすべきだと思います。
例えば、自分ひとりだけで起業する場合、高い賃料を払ってオフィスを借りる必要はないでしょう。特にシステムやアプリケーションなどの開発を単独で行うといった場合、ノートパソコンがあればどこでも仕事ができてしまいます。極端なケースでは、カフェやファミリーレストランでも仕事ができてしまいます。
一方、数人でチームを組んで起業する場合、しかも長時間一緒に仕事をするといった場合はどうでしょう。その場合は、皆が一堂に会するオフィスがあった方が仕事の効率が上がるかもしれません。それでも、最近はSkypeなどでミーティングをする企業も増えてきていて、それが本当に正しいのか疑問が残ります。
本当にオフィスは必要か?
ところで、筆者は最近、ある青年起業家の事業立上げに関する相談に乗る機会がありました。仮にAさんとしておきますが、Aさんは会社の先輩とともにFXの自動取引ソフトを開発しています。それを昨年から売り始めたところ、非常に売れていて事業化の目途が立ち、会社を設立することになったのです。Aさんと先輩は、現在はSkypeで打ち合わせをし、ユーザーのサポートなどは携帯電話で行っているそうです。Aさんは、そろそろどこかにオフィスを構えた方がいいと思うがどうでしょうとたずねるのです。
それに対し、筆者は「まだオフィスを構えるのは早いと思う。なぜなら、オフィスを構える必然性が生じていないからだ。実際のところ、オフィスがない今の状態でもSkypeなどを使って仕事は回っている。つまり、法人はバーチャルの状態で機能している。その状態で問題がないのであれば、オフィスを借りる必要はない」と答えました。
オフィスを借りるということは、固定費を払う必要が生じるという事でもあります。前の記事でリーンスタートアップについて書きましたが、起業の初期の段階ではできるだけ固定費を少なくすべきです。最初からオフィスありきでスタートしてしまうと、相応の固定費の負担を余儀なくされます。そして、事業が予定通りに進まなかったりした場合、その負担はずっしりとのしかかってきます。
自宅アパートからスタート、やがてオフィスを

Bさんは筆者が古くから付き合っている起業家です。苦労人のBさんは様々な職業を経て10年ほど前から自分で事業を開始し、これまでに複数の会社を立ち上げています。そんなBさんですが、彼ならではの起業メソッドがあります。
最近のBさんはIT系の仕事を多く立ち上げているのですが、彼のニュービジネスは、いつも彼の自宅アパートからスタートします。ノートパソコンがあれば仕事ができてしまうので、特に物理的なスペースを必要としないのです。ニュービジネスを立ち上げて(多くはIT系のアプリケーションの開発です)売上が立ってくると、まずは自分のアパートを本店に法人の設立登記を行います(大家さんと交渉してOKをもらっているそうです)。
仕事が広がり、システム開発や管理などで人を雇う必要が生じてくると、六本木にある本社の一角を「オフィス」として借用します。そして、仕事がさらに広がると、オフィスの一角をさらに拡張します。そして、本社オフィスの一定の部分をニュービジネスのスタッフで占めるようになると、外部に新たなオフィスを求めます。まるでアメーバのように分裂してゆくのですが、Bさんによると、そうしたやり方がもっとも経済効率が高いそうです。
物理的なスペースが必要な場合は?
では、物理的なスペースが必要な場合はどうでしょうか。Cさんは企業の海外進出を支援するコンサルティング会社を経営しています。元々大手光学機器メーカーで海外営業の仕事をしていて、三年前に独立して起業しました。
固定費を抑えるため、Cさんは都内にシェアオフィスを借り、顧客との打ち合わせなどはシェアオフィスの予約制の共有会議室で行っています。一方、Cさんの会社は最近忙しくなり始め、顧客との打ち合わせの頻度と回数が劇的に増えてきました。また、Cさんの会社に参加するコンサルタントの数も増え、それにさらに拍車をかけています。
最近では、顧客との打ち合わせをスケジューリングするのがいよいよ難しくなり、ミーティングのための物理的なスペースが必要な状況に追い込まれています。Cさんの場合、オフィスというよりもミーティングルームが必要なのですが、ミーティングルームを借りるコストが同程度のキャパシティを持つオフィスを借りるコストを上回った場合、オフィスを借りるという必然性が生じるでしょう。

一人でする仕事、チームでする仕事
オフィスを借りる必然性を考慮する必要があるとともに、仕事をする形態を考慮する必要もあります。仕事をする形態とは、その仕事は一人でする仕事なのか、またはチームでする仕事なのかということです。
一人でする仕事の例としては、税理士、公認会計士、作家、翻訳家、通訳、画家、作曲家、コンサルタント、職人などが挙げられます。最も、最近の作家の中にはアシスタントとチームを組んで仕事をする人が少なくないようですが、多くの作家は今でも一人で仕事をします。そして、オフィスを持たず、基本的には自宅で仕事をします。
一方、税理士や会計士、あるいは弁護士やコンサルタントなどは、チームで仕事をする場合もあります。特に案件が大型の場合は多数のメンバーでチームを編成します。その場合、さすがに誰かの自宅で仕事をするのは困難でしょう。そのようなケースでは、オフィスという共通の空間を持つことの意味が生じてきます。
物理的に集まる意味
ところで、オフィスという空間に人が集まる意味は何でしょうか。日本では現在、在宅勤務やサテライトオフィスなどのテレワークの利用拡大が議論されています。アメリカでもテレプレゼンスロボットなどを導入し、テレワークを実現しようという会社が少なからず存在します。そうした機運が高まれば、社員が物理的に集まる場所としてのオフィスの意味が薄れてくる可能性があります。
一方、これまでに積極的にテレワークを導入してきたアメリカでも、一部の企業によるテレワーク廃止の動きが見られます。全社員の25%をテレワーク勤務にすることを目指していたYahoo!は、2013年に在宅勤務を含むテレワークを廃止しました。同様にテレワーク普及を目指していたIBMも2017年に在宅勤務制度を完全に廃止しています。いずれも社員間のコミュニケーションの不足や人事評価の難しさを理由に挙げていますが、この辺もオフィスに人が集まる意味として考えられそうです。
アメリカの現状

ところで、起業先進国アメリカの現状はどうでしょうか。筆者は昨年、アメリカのあるBPO(Business Process Outsourcing)関連ベンチャー企業をインタビューする機会を得ました。その会社自体がロサンゼルス近郊の巨大なシェアオフィスの中にあったのですが、その会社のCEOによると、現在のアメリカのスタートアップ企業の多くがシェアオフィスで起業し、特にコワーキングスペース(Co-working space)と呼ばれるタイプのシェアオフィスで起業する企業が非常に増えているとのことでした。
コワーキングスペースは、個室などの個人のスペースをあえて設けていないのが特徴で、机は会員同士が向き合うレイアウトになっています。基本的に会員同士がお互いの顔を見ながら仕事をするのです。当然のことながら、会員同士が自然に顔見知りになり、会話や相談事などをしたりするようになるそうです。
個室タイプのシェアオフィスではなく、コワーキングスペースが好まれる理由をたずねると、「会員同士がふれあい、コミュニケーションをとることで化学反応が生まれるからです。アイデアを出し合い、時には共同で仕事をしたりすれば、新たなビジネスが生まれてくる可能性も出てきます。実際に、コワーキングスペースの会員同士が共同でプロジェクトを立ち上げたりしています」とのことでした。
日本にも出てきたコワーキングスペース
そんなコワーキングスペースですが、日本にもいくつか出始めているようです。中でもアメリカ発祥の大手コワーキングスペースが東京都内で複数のコワーキングスペースを開設しています。いずれのコワーキングスペースもモダンなファッショナブルなデザインで、使い勝手がよさそうに見えます。高額な会費にも関わらず、利用者の数は増えているようです(夜には無料ビールのサービスも提供されるそうです)。
筆者は、今後の日本においてもこうしたコワーキングスペースを使って起業する人が増えてくると予想します。ちなみにそのコワーキングスペースには、孫正義氏も出資しているそうです。
やってはいけない「オフィスありき」

なお、起業家がオフィスを検討する際に、やってはいけないことがあります。それは、最初から「オフィスありき」で話を進めることです。これは特に大企業の出身者にありがちなのですが、最初から物理的なオフィスを用意し、それなりの体裁を整えて起業してしまうのです。
Dさんは某大手百貨店で長らくバイヤーとして勤務し、3年ほど前に早期退職制度を利用して退職しました。それなりの退職金をもらったDさんは、流通業者を対象にしたコンサルティング会社を立上げ、都内に20坪のオフィスを設けました。それのみならず電話番のための秘書まで雇う始末でした。
当然ながら、起業直後から仕事がそんなにあるわけもなく、Dさんの会社はキャッシュの持ち出しが続きました。退職金を食いつぶしながら経営を継続させようとしましたが、1年を待たずしてオフィスからの撤退を余儀なくされました。にわかには信じられないことですが、この手のやり方で起業する人が少なくないのです。
まとめ

以上をまとめると、
- オフィスの賃料は固定費であることを認識し、必要最小限にとどめる
- オフィスが本当に必要か自問し、必要がなければ借りない
- 自分の仕事が一人でする仕事なのかチームでする仕事なのかを見極める
- チームで仕事をする場合、物理的に集まる意味があるかを検証する
- 自分の仕事に「化学反応」を起こしたければコワーキングスペースの利用を検討する、
となります。
起業に際してオフィスをどうするのかという問題は、とどのつまりは起業家の価値観や事業への思いといったものと密接に関係しているのは間違いないでしょう。ある程度見栄を張りたいという起業家もいれば、質実剛健を良しとする起業家もいる。立派なオフィスを構えないと優秀な人材を採用できないと考える起業家もいれば、オフィスがなくてもどこでも誰とでも仕事ができると考える起業家もいる。要はオフィスというものについて起業家が何をどう評価し、何に価値を見出しているのかという問題でもあるのでしょう。
しかしながら、それでも筆者は必要最小限でスタートし、身の丈と必然性に合わせてオフィスを整えてゆくことをおすすめします。立派なオフィスを構えることが可能なキャッシュが手に入ったとしても、質素なオフィスにいることをお勧めします。亡くなった伝説の経営コンサルタントの一倉定氏は、「社長室は質素でなければならない」と企業を指導していたことで有名ですが、同時に研究室や試験室にはお金をかけるよう促していました。数千社を超える企業を指導してきて得られた同氏なりの経験則だと思われますが、今後しばらくは不変であるような気がします。